会話では、わかりやすさと正しさ、どっちが大事?

わかりやすさと正しさ、どっちが大事なんだろう。
結論から言います。

どっちも大事!!!!!

あっ帰らないでください!すみません!そりゃそうだろですよね!わかります!
これから理由を述べますんで!!はい!!

以下に述べることは、
というかこれまでの全ての記事もこれからの記事もそうなんですけど、
当サイト内の記事は全て私の主観になります。
これまで自分が見聞きしてきた様々なものを総合して、
ある程度自分で考えながら他の人の意見も聞いたり聞かなかったりして、
集約して結果的に自分の意見として排出しています。
ですので、これらの記事が正しいんだ!というのではなく、
あくまでも、「ほほうそういう考え方もあるのだな」という、
一つの要素としてお受け取りいただければ幸いです。
あと今回の記事めっちゃ長いです。まだ少ない記事ながら過去最長。

あと、補足記事もあります。

ツイッターでとある論争を目にしまして、
その内容からは逸れてしまうと思うのですけど、
それを見たときに自分が思い浮かんだことを述べようと思います。
連想脱線はもうあるあるだからしょうがない。
これはずっと考えてきたことであるなあと思ったので、
ここらでいっちょ自分の考えまとめっか!ということで記事書きました。
あと何か書いて残しておけばいずれ漫画のネタになる。
プロットっていうんですけどね、ネタのメモ書きみたいなやつ。
そんな感じで記事書いてます。
やっぱメモっとかないと忘れてっちゃうんで。

さて、「わかりやすい」と「正しい」について。
その論争では、とある2つの状況が説明されていました。

A案
「メジャーなwebメディア。内容に間違いが含まれることもあるけれども、簡潔でわかりやすい。一般人が簡単に飛びつく」

B案
「内容の正しさは科学的に立証されている。その理由についても、この論文から、これこれこういう理由でこういう事象が起きるわけだから、その結果こうこうこうなるということがわかるのである。ただしある一定の条件下においてはこの正しさは証明されない場合があるものとする。これらは確実性をうたうものではなく、この場合にはこういう結果が得られる、ということがわかっているということ。必ずしもどんな条件下でも同じ結果が得られるものではない、ということ。などを…
と、専門分野の人が信用のある参考元を提示している。
一般人にはどこがどう重要で、結局どうすればいいのかがわかりにくい」

こんな感じです。

もうこれ見ただけで感じると思うんですけど、普通の人って
「うっわB案めんどくせえ!読むのやーめた」
ってなりません?私はなる。
A案は、確かに簡潔すぎるし詳細な原因などは何もわからないけど、
「おっ、これぐらいなら読んでみようかな!」
ってなりません?私はなる。

簡単にいうと、
A案は、「伝える」ということに特化しているんです。
B案は、「正しい」ということに特化しているんです。
そして、
「伝える」には、「わかりやすい」ことが必要。
「正しい」には「確実である」ことが必要。
なのではないかと思います。

これでちょっと、ん?と思われるかもしれないんですけど。
そうなんです。
そもそも比べるものじゃなくね?
と。
なんか分野?カテゴリー?がちがくね?
と。
どっちも大事なんじゃね?
と。

はい。
冒頭回収。

だって、私のような一般人からしたら、
いくらこの話は正しいですこれだけ素晴らしいんですということを長々と説明されたって、
その話を全て聞く前にですね、こう思っちゃうわけです。
「いや別にそこまで興味ねーから!!!!!!」
ねえ!
だっていくら含蓄があって内容的には良い話だからって、
誰も校長先生の長すぎる話なんか聴きたくないでしょうが!!!!!
ねえ。
いやそりゃ聴きたい人もいるでしょう。
でも私は思えなかった!!!!!

もう自分のツイートコピペしまくっちゃうんですけど許し亭ゆるして。

どんなに正しい説を唱えてたって、聞いてもらえなきゃ意味なくない?
専門家の方が正しいのはそりゃわかってるんだけど、
興味のない一般人には専門用語が飛び交う長文とかわかりにくいし興味持てないんだよ。
興味を持たせる「入り口」としては、間違ってても簡潔で短い話の方が上手いんだよね。
ていうか、正しいことは正しいというだけで信じてもらえると思ってるんです?
正しさにあぐらをかいてわかりやすく伝えることを怠るんじゃねえ!

漫画描いてるから、意図通りに伝えることの難しさをわかってるから思うんだけど、
人にわかりやすく伝えるってそれだけで立派な技術なんですよ。
内容に間違いがあるからって、そこだけを責めるのって意味あるの?って思うんですよ。
「わかりやすい」っていうことにも、「正しい」っていうことに負けないぐらいの価値があるんだよ。

それに、こっちの伝えたいことをそっちで汲み取れっていうのは傲慢ではございませんこと?
もちろん読み手側の意図を読み取る努力も必要だけどさ、
だからって発信者側も伝える努力をしなくていい理由にはならなくない?
わかって欲しいんだったら、わかってもらうためのより良い手段を選ぶ必要があるんじゃない?
難しくて面倒な説明しかしないけど、正しいからわかってくれなんて、その言い分は正しいんですかね!?

これでわかっていただけたと思うんですけど、
わかりやすく伝わったと思うんですけど、(ゴリ押し)
「わかりやすさ」と「正しさ」を伝えることとか証明することって、全く別の技術なんですよ。
だからこそどっちも大事なんですよ。
どっちも持ち合わせたメディアが最強なんですよ。

ということでさらにご理解いただけたと思うんですけど、(ゴリ押しに次ぐゴリ押し)
どっちも別もんだからどっちも習得しなきゃいけないってなるとすげえ面倒なんですよ。
だからこそそれ専門の、それこそ「発信者のA案」「研究者のB案」みたいな、
どっちもやってどっちも中途半端になるぐらいなら、
ある程度のデメリットを抱えても特定の分野を特化することを選んだエキスパートたちがいるわけじゃん。
だから究極そこ2つ組んだらいいんじゃね?って思った。おわり。

っていうの、もう全部自分にブーメランなわけ!!笑

自分もどちらかというと専門家タイプなんですよ。
クリエイターって大体そうなんじゃないかな?
モノ作りする人は、ほとんど人と交流するの苦手じゃないです?笑
だからモノ作って昇華してるんじゃん!っていう部分ありません?笑
自分の作品宣伝したりとか、そういうの苦手な人多いんじゃないかなあ。
私はもう完全にそれで。
作業に集中してたいんですよ、単純に絵描きの作業そのものが好きってのもあるけど。
でも、それを仕事にしていくってなったら、
もうこの時代ですから自分で営業も必要になってくるわけですよ。
その営業の部分がね。超絶苦手で。

絵描きって、どうなんでしょうね、これも「私は」という話になっちゃうんだけど。
自分が描いたものを、たくさんの人に楽しんで欲しいって思うわけじゃないですか。
そしたら、作品の良さを「伝える」という作業、必須なんです。
でも、少数でも、一人でもいいから、心から楽しんでくれる人がいればそれでいいって思う部分もあるじゃないですか。
その場合でも、その人に届けるためには、運良くすぐに出会えればいいですけど、
でもどこにいるかわからないその人に届けたいってなった時でも、やっぱり「伝える」方法考えなきゃいけないわけで。
それって、「作品を作る」こととはまた別の、「伝える」っていうことが必要じゃないですか。
でもその「伝える」を今度じゃあ考えますよってなると、肝心の作品を作る時間が奪われるわけじゃん。
それもまたなんかちょっとやだなっていう。
すんごいわがままなんですけどね。

で、さらにですよ。
例えば自分で言うと、漫画を描くっていうことがね。
漫画自体もね、結局誰かに何かを「伝える」っていう創作物なんです。
「感じ取ってくれ」っていう、いわゆる「芸術品」とはまた違うんですよ。
作者の明確な「伝えたいこと」が、漫画にはあるんです。
主人公に乗せた感情だったり、
キャラクターのかわいらしさだったり、
重厚なテーマでの問題提起だったり、
美麗な作画で美しさそのものを視覚で楽しんで欲しかったり。
種類はいろいろあるし、作品が発表された後は、どう受け取るかはもう受け手の自由なんですけど。
漫画には、必ず、作者が読み人に届けたいメッセージがあるんです。

で、そうなると、「楽しく描きたい」とかそう言うのにプラスして、
「読み手に伝わって欲しい」というのも絶対あるんですよ。
それこそ昔は、
「好きな漫画を好きなようにだけど全力で描いたから理解して欲しい」
という気持ちがあったと思います。
でも歳をとりまして、笑
こう言う話とかいろいろな経験とかもしていくうちに、
「好きで描いたからって理解してもらう努力をこちらがしないのはおかしいかもしれない。
どう描いたら話がわかりやすく、もっとキャラが魅力的に伝わりやすくなるのか」
ということも考えられるようになってきました。

自分が作ってるものって、自分では余計な説明しなくても理解してるじゃないですか。
だから「伝える」となった時に、結構飛ばしちゃうんですよ。
主語とか、特に自分の場合は前後関係とか。
これ漫画だけじゃなくて会話でもそうなんだけど。
なんかもっと、「伝える」ということにちゃんと向き合って考えてみようかなと思えるようになりましたね。

ただ、これが創作の面白いところでもあるんですけれど、
作者の意図通りに伝えた方が良いって思うじゃないですか。
言いたいことが全て伝わるように丁寧に描ききった方がいわゆる「良い作品」なんじゃないかって。
でも思うんですけど、
完璧に思った通りに言いたいことを伝えられるのもすごいと思うんだけど、
意図が間違って伝わったり、意図とは違った解釈を勝手にされるのも、
それはそれで面白くない?
伝言ゲームとかのそういう面白さもあるじゃん?
それに作品を作ってる時は作者の自由だけど、
作品が世に放たれた瞬間から受け取り方は読み手の自由なんじゃないかなあ。
思った通りに伝わらない面白さとかもあるし、
自分が思いもしなかった世界の見方をしてくれてるんだなと思うと、
それはそれですごいことだと思うんだよね。
自分が投げかけた1つの話から想像を広げてくれるってすごすぎんか?
自分は自分の見えてる世界が全てで正しくて最善だと思っちゃってるけど。
「違う」のって別に「間違い」じゃないんだよなあと思うし、
新しい何かが生まれるきっかけってそういう所からだと思うので。

でもねーまじでSNSでセルフブランディングとかやったほうがいいっていうのはわかってるし一応そんな体裁は整えてはみたんだけどまじでやりたくねええええええええええええええええええええええええええええ
その、宣伝とか、わかりやすく伝えるとか、そういう行動自体を、
もうぜんっぜん楽しいと思えないんですよ!!笑
無理!!マジで!!向いてない!!
やらなきゃいけないってわかってるんだけどもうぜんぜんやる気が起きねえ!!
ほんと誰かやって欲しい!!笑
ってなると、そういう方が出てきてくれるぐらい良いもの作りたいなと思える部分もあったりもする。

でね。

なんとまだこの話は終わらないんですよ。

なっっっっっっっっっが!!
すみません!もうずっと考えている分野でもあったので!
まとめようと思ったんだけどとりあえずつらつら書くか〜と思ったらこんなに長くなってもうた!
さっきは自分の「伝える」の考察をしたじゃないですか。
ここからは「正しい」についてです。
それで終わるんで!
あとちょっとなんで!

いや、あの、ほんとヒマな時にご覧ください。
今更だけど。
こんな文章の途中に書いてもねえ。
そこのヒマなあなた、ありがとう。

で、ですよ。
正しいって何かね。

はい。

もうさー難しくない!?「正しい」って。
もう最近気付いた。
何が正しいか。それは

人による!!!!!!!!!!!!!!!

はい。
ごめんなさい。

いやでもそうとしか言えんくない!?
いやそりゃ正義というか、正しいことってさ、
まあ例えば法律で決まってることとかもあるしさ、
道徳的に考えてとか倫理的にとかさ、あるじゃん。
もちろんわかってます。

ただね、やっぱり漫画を描いたり読んだりするのが好きな人間なもんで、
「正義」と「悪」について、子供の頃から考えたりするわけ。
少年漫画も大好きだしさ。
ドラゴンボールがリアルタイムの世代よ俺ら。

んでね、推理モノの漫画とかも大好きなわけ。
金田一とかコナンとか。
でさ。
そういう推理ものって、まあ主人公はいわゆる「正義」側なわけじゃん。
探偵役が「正義」で、犯人役は「悪」なわけじゃん。
そりゃもう当たり前なわけ。読んでるこっちもわかってるわけ。
でもさあ、特に金田一の方はね、犯人役がとにかくかわいそうなの。動機が。
犯人に殺されるやつらが非道すぎて、
犯人自体はそいつらに例えば家族を殺されたとか恋人を殺されたとか死ぬほど苦しめられてきたとか、
なんかもうそういう「じゃあ仕方ないよね…」って思わされるような、
結構ヘビーな話を犯人が抱えてるわけ。
端的にいうとね、すっごいかわいそうなの。犯人が。
「悪」の方が、すごいかわいそうなの。

そうなってくるとさ、余計に「正義」とは?「悪」とは?ってなるじゃん。わたしはなる。
いやもう「少年漫画だから」とか「作り話に何言っちゃってんの」とかそういうのはいいです。
これは私個人の感想だから。

そういう、犯行を行ってしまったことが致し方ないと思われるような、
正当防衛では擁護できないレベルなんだけど、
「悪」である犯人の言い分もわかるような、そういう感じなのね金田一とかって。
でね、金田一もコナンも似たようなくだりがあるんだけど、
そういう重い重い理由があって、家族や恋人思いでもあって、
そんな自分の大事な人を傷つけた相手をどうしても許せなくて復讐に走った、
そういう「悪」の犯人に向かって最後にね、「正義」の探偵である主人公が言うんですよ。

「どんな理由があっても、犯行を行って良い理由にはならない」
「そんなことをして恋人が喜ぶと思っているのか」

って。

もうすんごい正論じゃん。
「正しい」じゃん。
わかるよ。
正義ってそういうこと。
主人公ってそうあるべき。
でも、私そういうの読んでて、結構「悪」の犯人側の同情せざるを得ない事情とかみちゃうと、
そりゃ犯罪はダメ、絶対。だけどさ、そらそうよ。
だけどさ、こう思っちゃってたわけ。

いやでもお前ら美雪や蘭が殺されてもそんなこと言えんのか!!!!?!?!?!?!?


お前らはいいよ、主人公でヒロインはどんなに危険な目にあっても絶対に生還するから!!!!!!!!

でもお前らは、大切な人が殺されても、本当に冷静にそんなことが言えんのか!!!!?!?!?!?!?

それが「正義」なんですかねえ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

※このくだりは全て漫画の感想です。

はい。
まあ言うても少年漫画だから。それは仕方ない。
と言うわけで私は青年漫画を読むようになりました。
青年漫画は主人公にもヒロインにも容赦がねえ!!
最近一番好きな漫画雑誌はヤンマガです。

あとこれは補足というか脱線というかそれでいて大きな気づきだったんだけど、
そういう漫画の「主人公補正」ってあるじゃないですか。
主人公やヒロインは死なないとか、最後には勝つとか、ハッピーエンドになるとか。
そういうの、もう長いこと「ご都合主義」だなあと思ってたんですよ。
「少年漫画だからしょうがない成分」というか。
そうしないと面白くないだろうからとか。
ぶっちゃけすげえ嫌いだったんですよ。

でもですね、最近ちょっと思ったんですよ。

色々な境遇や様々なキャラクターの中から、
生き残って幸せになったやつを主人公に選んでるんじゃないか?

逆説的な発想だけど、面白いと思いませんか!?こういう考え方。
我ながら素晴らしい発見。
そう思うと、もう「主人公補正」なんてモリモリに盛ってもいいんじゃないかと、
最近では思えるようになりました。
すごい抵抗感あったんだけど、そう考えたらアリですね、と。
「都合よく主人公が生き残る」世界なんじゃなくて、
「たくさんの犠牲になっていったヒーローたちの中で、
生き残った一人にスポットライトを当てて主人公に見立てているから、
結果的に都合よくことが運んでいるように見える」っていう。

最近は、そういう嫌いだったことを目線を変えて見てなんか再発見してみるという遊びをしています。
好きと嫌いの話はまた別の記事で。
嫌いという感情も大事だよなあという気付きの話をしたい。

そんな感じで、言いたいことはひととおり全部書ききった気がするので、終わります!
最後まで飛ばさずに全部読んでくださった方がいたら、本当にありがとう!笑
もうさー今日はせっかくもろもろがひと段落ついたから早く寝ようと思ってたわけ。
日付超える前に寝ようと思ってたわけ。
したら1時間半経ってたよ!笑

寝ます。

読んでもらえるのもそれだけでも嬉しいんだけど、
こういうの読んでもらった後に読んだ人が何か考えるきっかけになったらさらに嬉しいなあ。
文章も「伝える」をおろそかにしたらよくないなあとは思うんだけど、
特にこのにっき記事に関してはもう思ったことそのまま書いちゃってるので、
ほんとに伝わるかどうかわかんないです笑
申し訳。
考えるというのも面白いものですよ。
この記事も、考えた結果を残してるだけなんで。
ぜひ考える楽しさを考えるきっかけになればと思います。

では寝ます。
睡眠って大事だなあ!寝なきゃ生きていけねえ!

〈ちなみに〉
書きたいこと書いたら6000字越えたし日付も越えたんだけどアホなの?そうだよアホだよ!

コメント